地域舞台化プロジェクトの新春イベントは現代神事と現代芸術がジョイント!

あけましておめでとうございます。新年は、たたら鉄を古式製法で再現する現代神事「鉧びらき」(1/30)+鎮守の杜で現代芸能・芸術をお披露目する「たたらの杜 藝奉祭」(1/16~30)を製鉄遺跡の聖地・松原神社(春日井市)で開催いたします。本年もよろしくお願い致します!

出演者&作品出展者を随時受付中です♪1/16(土)~30(土)会期中ならいつでもOK!


炭が取り持つ「鬼滅の刃」と「たたら鉄」の関係

強くて美しい日本刀は、炭を使った古式製鉄による「たたら鉄」でしかできません。そして使う炭も厳選された炭が不可欠。つまり、日本刃と炭は。斬っても斬れない関係というわけ。

ゆえに「鬼滅の刃」の主人公は「竈門炭治郎」。鉄づくり刀づくりには欠かせない「炭」が名前に入っている理由ですね!

 

炉に砂鉄を入れ炭火で溶出する「たたら製鉄」ですが、火力や温度だけでなく良質な「炭素」が鉄と融合するのがポイントで、よって良質な炭だけが、たたら鉄を産むのだとか。

そうして、写真の溶岩のような状態で抽出されるのが、鉄の母「鉧(けら)。その鉧を鍛冶屋の手で「たたら鉄」「玉鋼」「日本刀」へと昇華させて行きます。

そう、炭治郎という良質な炭(素材)が砂鉄と混じり、熱せられ、叩かれ、鍛えられ、どんどん強く美しくなって行く様は、まさに「鬼滅の刃」の物語そのものなんですね。


地域舞台化プロジェクトに向けて(1)

アートと社会の「接点」をデザインするソーシャル・アートプロジェクトの取り組み事例紹介&ご提案しています♪


地域舞台化プロジェクトに向けて(2)

「アートで街おこし」発想から「街でアートおこし」マインドへ

 芸術祭という名のまち興しイベント、まちづくり施策が全国に拡がった。

アートを手段、コンテンツとして地域活性化を図ろうとの目論み自体ダメとは言わない。
だだ、芸術をそのように位置づけることでの、もの足りなさ、薄っぺらさ、骨の無さを感じてしまう事例は少なくない。
公金を使う以上、たとえ一部の人でも不快に感じる可能性のある展示はダメという検閲性や忖度が働くのも理由の一つだが、それ以上に大きな問題がある。
それは、地域の人たちが蚊帳の外に置かれ、積極的に関わって行き難い状況が、地方芸術祭など「アートで街おこし」発想では起きやすい点。
人はよく「自分は芸術のことはよくわからない」という。
わからなくても勿論いい。でも面白いと感じられるかどうかは大事。
わからなくても面白がれる、自慢できる、紹介したいと思える、そういう気持ちになれなければ、本当の意味での活力は地域に根付かない。地域振興策としても長続きしない。
たとえば、ローカルなロックバンドがいて、町の食堂のおばあちゃんが彼らの音楽はよくわからないけれど、面白いから応援したいという気持ちになれるかどうか。
そこが「アートで街おこし」と「街でアートおこし」の似て非なるところ。
地域の人たちが、アート作品やアーティストともっともっと関わって、ファンでなくともサポーターという感覚で、あるいはキュレーターとして、イベンターやプロモーター、プレゼンターとして、楽しく関わり、繋がり、面白がって応援する。
そうやって地域からスターを輩出したり、そこでしか体験できないコトをみんなで創り出そうという発想・気概を持てるかどうか。やれるかどうかは別として、そこが肝になる。
「アートで街おこし」にありがちな、アーティストをイベントの道具として利用するだけでなく、彼らをバックアップし、その作品をプロモーションし、売り出す。
そのために店や施設、遊休地や空き店舗、それらの壁でも屋上でも、地域のあらゆる空間を舞台化する。舞台として見直す。舞台に仕立てあげる。
作品を募集・選考して、展示して、さあ奇麗なアートを飾ったから観に来てね、だけでなく、舞台づくりのプロセスにも地域の人たちがかかわり、創作の場を提供したり、作業を手伝ったり、土地の風習、歴史など盛り込んでもらえるように働きかけたり、アイデアを話し合ったりする、そういう共創意識があるかないかで、かなり機運やムードは違ってくるはずだ。
そうしたマインドで「地域舞台化プロジェクト」を推進し、表現者活躍の場づくり、応援体制づくりに向けて動き出せば、地域の魅力は自然に高まっていく。
「アートで街おこし」発想から、「街でアートおこし」マインドへの切り替え。
そこに地方・地域のサスティナブルな未来があるのではないだろうか。
『LPジャケ勝手に改ざんしちゃいましたアート展@近江八幡』を終えて
GoHoHo 主宰:滝沢彰